戸田の内緒話。

自分の日常で思ったこと、感じたことをつらつらとひっそり書きます。

タイミング。

なんか最近誰かの悪口だったり、負の感情を受けることが多いなと思います。

 

みんな教員採用試験だったり、実習だったり人間関係だったりで思うところがあるのかもしれません。

人間なのでそういった負の感情を持つことは悪いことだと思いません。

 

ただ、自分が少し落ち込んでたりするときにそういった感情を受けるといっぱいいっぱいになってさらに落ち込んだり沈んだりしちゃう時があります。

 

そういうのって結局タイミングなんだと思います。いつもは流せる言葉も自分のその時の気持ちの在り方一つでふっと引っ掛かる時もありあます。

 

そんな時、自分がちゃんと自分を保っていられるためには人との信頼関係が大切なのだと思います。自分が嫌なことを嫌と言えたり、ちょっと今日沈んでるだよねということを素直に伝えられるか。それを自分が大切にしたいと思っている人たちには言えるようにちゃんと素直に誠実にその人達と接すること。誰かを大切にすることは自分を大切にすることなのだと改めて実感しました。

模擬授業。

体育の模擬授業があり、その反省会を担当の先生としてきました。

 

その中でスポーツが苦手な子でも進んで体育に参加できるように、コートを小さくしたり、柔らかいボールを使うといった外的なものへのアプローチではなく、子ども達の内面にもアプローチをしていくというお話がありました。

 

そのアプローチを「内的簡易化」というそうです。体育でのスポーツにおいて何を簡易化するのかというとそのスポーツでの「役割」とのことです。子どもにそのスポーツのポジションの役割を与え、限定することで、その役割を全うし、またそこからどんどんできることが広がっていくということでした。

 

正直いって教師が限定することにとても違和感を覚えましたが、ただ模擬授業のとき、そのスポーツの説明がとてつもなく難しかったことを踏まえると簡易化した役割を与えるということは何かうまく自分の中に落ちてきました。体育で身につける知識・技能に関しては。

 

このエビデンスをもとに副教材?的なのをクラスルームなり本棚に入れておくことはいいことなのかなと思いました。

 

大学院で学ぶことは自分の軸のことだけではありません。学んだことを子ども達に強制するのではなく、子ども達が選択できるようにする、その選択肢の幅が自分の学んだものの多さと直結するのではないかと思いました。

たくさんの方と繋がること。

昨日、僕が多くの方が協力してくださりった結果、自分自身がファシリテーターとなり、現場の先生方とお話をする会?を開くことができました。

 

たくさんの協力があってこそです。本当にありがとうございます。

 

この会は問題提起もあり、同時に私自身の繋がりをより増やしていきたいという思いもありました。それと同じくらい、参加してくださった方々同士でも繋がっていただけたらなと思っていました。繋がりたいという想いあってか最後の方では参加してくださった方とうまく打ち解けられていたのではないかなあと思ったり。

 

この会で私が学んだことはたくさんあるのですが、やはり人との繋がりは自分の支えになり、そしてこれから先も廃れるものではないということです。

 

今回の会ではとても多様な方々が参加してくださいました。小中高の先生をはじめ、学生の方、保護者の方、日本人学校の方など自分のいつもいる世界とは少し離れた世界の人と話すことができたと思っています。そういった方々の話を聞き、自分自身の願いはより良いものなのか、普段のみんなと話していたら見つからない視点も見つかったような気がします。

 

自分自身の願いがより一層確信に強まった気がしました。

 

これから先も少しでも多くのことをみなさんから学べたらと思います。

本当にありがとうございました。

私たちはどうつながっているのか。

自分の願いを語る上で人との繋がりというものは僕には欠かせないものであるなと強く感じ、以前読んだ増田直紀さんの著書「私たちはどうつながっているのか」を再度読み直しました。

 

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考えたことをつらつらと。

 

6次の隔たりを使ったスモールワールドの世界。

人は世界の誰だろうと大体6人の人を介せばその人と繋がることのできるらしいです。ここで大事なのはまず誰かと繋がるのにはそんなに多くの枝を解さなくてもいいことです。誰かがいなくなってしまった時、いなくなった人はなんか自分より遠い人のような気がしても、気づけば僕の身近な人が悲しんでいる姿が目に入るのは当たり前のことなのかもしれないと強く思いました。そしてもう一つは6人を通さずとも、自分のつながりが多様であれば近道を使って、6人よりも短い道で誰かと繋がることができるということです。そして多種多様なコミュニティ同士を繋げようとした時、どちらのコミュニティに属していればそれだけでその人の価値はとてつもなく上がるということです。なぜ、たくさんの人と繋がることが大切であるかの根拠ができた感じがします。

 

②身内を大切にすることの意味。

では多くの人と繋がることだけが得かと言われたらそうではありません。つながりを作り、そして維持するためには非常に高いコストがかかります。自分自身が持っていないつながりは自分の持っているつながりから手繰り寄せていけば良いのです。人は基本的に3~4人のコミュニティを作ると言われています。この小さなコミュニティをクラスターと呼ぶそうです。このクラスターは人々に安心感を与え、またこのクラスターによって人は利己的ではなく、協力的な姿勢になると言います。利己的に振る舞うことでクラスターにはいにくくなり、それは「損」であると分かるからではないかなと思います。このクラスターの中で「こいつには〇〇を紹介したいな。」と思ってもらえるようにするためには、結局はその人がその集団の中でどう貢献しているか、どう自分と接してくれているかだと思います。少なくとも誰かを見捨てたり、悪口を言うような人に誰かを紹介したいとは思わないと思います。紹介した子も見捨てられたり、悪口を言われるかもしれないからです。

 

もっと色々考えたかもですが大きく感じたのはこの二つです。

 

最後にこの本では誰もが替えのきかない歯車であると言って締めています。

その通りだと思います。誰1人として全く同じコミュニティを築いていることはありえません。

誰もが必要な時にたった一つの歯車として動き出しますように。そんな社会を目指していきたいと思いました。

呪い。

今日は家庭教師のバイトでした。

 

英語の免許を持っている僕ですが数学を教えることもあります。

その中で平方完成を教える場面がありました。

 

平方完成ってどうやるんだっけ?と思い出せない僕。

正直に謝り、一緒に調べながらやりました。しかしうまくいかない。

最終的に後輩に助けてくれとお願いし、解くことができました。

 

後輩の力を借りて、平方完成をすることができたのになんかモヤモヤ。

家庭教師だからその子のために僕が教えなければと後悔の念があったのです。その子は学校のテストのために数学を勉強しているのでその子が平方完成をできるようになれば僕でなくてもいいのです。ましてや僕よりもその子にマッチした人がいればその人に教えて貰えばいいのもわかっているのです。

(僕は平方完成ができるようになったほうがいいのかもしれませんが。笑)

 

僕がその子のことをなんとかしなければという呪縛はいくらそうじゃないのではないかと思っていてもすぐ近くに潜んでいるのだなと実感しました。

思わず。

今日は初めてM1とM2が全員集まってゼミを行いました。(欠席の子も1人いました。)

 

その後の話し合いで西川先生がやってきてあれやらこれやら。              その話を聞いてまあまあ焦った西川ゼミ生が2人。                    

 

※ここから先は西川先生にとてつもないリスペクトを抱いている方にはごめんなさい。※

 

「純が書く書類あるじゃん?あれだよ?」

「え、純が書く書類って何?え?」

 

西川先生の前で堂々と純って呼んでました。笑ってる西川先生。

それを聞いたM1が焦ったと言ってました。西川先生を純って呼ぶなんてそんな、、、。

 

冷静になってみると確かに大学時代の担当教員を下の名前でしかも呼び捨てなんてできないです。担当教員の車の前にセクハラ物件を建てることもできません。

 

これだけ聞くと距離が近すぎるかのように聞こえますがちゃんと一定の距離があります。それを僕たちが知っていて、それに一貫して先生はいつも接してくれるからこそ、こんなシーンが生まれるんだろうなと思いました。

普段の西川先生からも学ぶことはまだまだいっぱいです。

 

こんな景色が異常でないことも西川研究室に入らなきゃ分からないことの一つなんだろうなあ。笑

 

 

 

後輩の結婚。

今日、僕の大切な後輩が婚姻届を出し、結婚しました。

本当におめでとうございます。

 

前々から結婚することは知っていたのですが婚姻届を出したのは今日っぽいです。

幸せそうな写真や投稿に対するたくさんのコメントを見て心が温かくなりました。

 

たくさん悩んできたのだろうなと思います。お互いの悩みを聞いた時だってあります。

でもお互いの相談を受けた時、この2人なら乗り越えていくんだろうなと思いました。

2人は1度も相手のことを悪く言ったことがなかったからです。

きっと2人の中でちゃんと話し合って、2人で解決しているんだろうなと思います。

この折り合いというのは相手のことを思ったり、想ったりしなければ生まれないのではないかなと最近思います。2人ならそれができると確信しています。

 

きっとこれからもたくさんの悩みや辛いことがあると思うけどその度話し合って、相手を思って、想って2人で乗り越えていってほしいなと願う戸田でした。

2人で解決できなくても、たくさんのコメントを見て大丈夫だな、助けてくれる仲間がこんなにいるんだなとも感じました。僕もそのうちの1人でありたいです。

 

末長くお幸せに。!