一昨日?美術館に行きました。
そこではその地域の美大の卒業制作作品の展示が行われていました。
幼き頃の戸田少年は美術館に行っても何も感じず、ほへーっと見てるだけでしたが、
大人になった戸田青年、絵を見る毎にたくさんのことを考えてしまいました。
少しずつ大人になっていますね。笑
僕が一際、心を奪われた作品がありました。
「安全圏より」という作品です。
なぜかは分かりません。ただ感覚的に直感的に好きだなと感じたのです。
そしてたくさんのことを考えました。
なぜ猫を抱いているのだろう、なぜ暗闇の中にいるのか、でも光もあるな?とか、描いた人は何を想って、何を伝えたくてこの絵を描いたのだろうとか考え出したらキリがなく、でもその時間はとても素敵で幸せな時間でした。
◎「安全圏より」を描いた方のインスタです。
よろしければ覗いて見てください。
https://instagram.com/s_h_i03zky?utm_medium=copy_link
そして全ての作品を見終わり、友人とお話をしました。その友人は美大出身です。
友人によると自分の世界全開の絵は見る人への伝える行為が欠けていると評されることが多々あるとのこと。しかしながら全て伝えるような絵ではただの模写になってしまうため、その狭間で絵を描く方々は戦い続けているのだとか。
いろいろ考えてみたところ、対象とミッションが達成されているのかどうかに尽きるのではないのかなと感じました。
絵を描く方々が「全ての人」を対象にして「わかるような絵を描く」というミッションだとしたら、自分世界全開ではダメなのかもしれません。もし、「通りすがりの人たち」を対象に「足を止めたくなるような絵を描く」というミッションであったら。自分世界全開にし、伝える行為に欠けると例え評されたとしても、通りすがりの人たちが足を止めたら描いた人にとって評価などどうでも良くなり、絵を描いてよかったと心から思えるのではないでしょうか。
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このブログを書くにあたり、「安全圏より」を描いた方と少しやりとりをしました。
「実際に目で見てくださることも嬉しいですし、私の作品の断片が誰かの記憶に残っていることが幸せです。」とおっしゃってました。
どのような想いでこの作品を描いたか全てを知る術を僕は持ち合わせていません。
でも、もしも「実際に見てくださった方」を対象に「少しでも記憶に残るような絵を描く」がこの絵を描いた方のミッションだとしたら。より多くの方の記憶に残る作品であったのではないかなと僕は思いました。
素敵な時間をありがとうございました。