戸田の内緒話。

自分の日常で思ったこと、感じたことをつらつらとひっそり書きます。

アンケート。

ちょっと前ですが『学び合い』に対するアンケート結果が上がっているのを見ました。面白いなと思う反面、僕は取らないだろうなと思ってみていました。

 

(これは僕の意見なので誰かを傷つけてしまったらごめんなさい。)

 

アンケート取るのやめようと思った出来事がありました。

 

研究授業のためにアンケートを取らなければなりませんでした。その項目に算数は好きですか。という項目がありました。その結果を見てみるといつも算数満点みたいな子が「いいえ」をつけているのです。僕は驚愕しました。100点ばっかりなんだから好きに違いないと思っていたのです。

 

それ以降、算数の時間はその子は今日は楽しそうかなとその子を見るようになりました。

アンケートの結果を知ってしまったが故にその子に注視するようになってしまったのです。

 

算数が好きではないがいてもおかしくないはずなのに。

 

もちろん生徒指導の観点や児童の実態という意味で知っておいた方がいいことがあるのは重々承知です。

 

そしてこのようなアンケートをとっても全体を見るという視点を忘れなければ問題もないと思うのですが果たして算数でハッとしていた僕にそんな余裕はあるのか、。

 

『学び合い』だってどうやったってきっと全員がいいなんて思うことはないと思います。じゃない方がいい子の意見を聞いてもすることは変わりません。知ってしまったが故に「その子を!」ろ僕が思ってしまわないか。全員がいいって思わないから価値があるんだと思います。

 

知った方がいいことがあるのはもちろんのことですが知らなくても良いことがあるのだなと感じる僕でした。

 

 

腑に落ちる。

何かと最近、いわゆる生徒指導?をする場面があります。その子とお話する時にその子とどんな話をしようか考えています。

 

そんな時僕は大学院の授業で受けた「目的論」を思い出します。なにかの出来事に対して何故それをしたのかという「原因」を探すのではなく、それをどうしてしたいのかという「目的」を探し、その方法はどうだったのか考えるというのが僕の中での「目的論」の認識です。

 

この目的論でお話をしていて良かったと思うことが2つあります。

 

1つ目。目的の肯定から入ることが出来ること。

何かあった時大体のこども達はプラスな面での目的が多いです。ちょっとあの子と話したかったのような。その目的は否定されるものではないと感じるのでまず肯定することが出来ます。

 

2つ目。子ども達に選択肢を与えることが出来ることです。僕の中でここがすごく大きいです。それを達成するためにこの方法は間違ってた、ではどの方法が良かったのだろうと考える時間をとることができます。

 

これは大学院で学んだことです。多分大学院の時はこの授業が面白くて前のめりに聞いていた覚えがありますが実はここまで考えることが出来ていなかった気がします。現場に出て初めて結びついたことです。

 

大学院で学びが終わりなのではなく、ここからが学びなんだと改めて思い知らされました。

一年の計は元旦にあり。

遅れましたがあけましておめでとうございます。

 

気づけば2024になっていました。

そして昨日学校が始まりました。

 

去年はなんとなく自己研鑽をできたりできていなかったりと自分の弱さが垣間見える年でした。

 

校長先生のお話から「一年の計は元旦にあり」というお話がありました。

 

子ども達と一緒に2024の目標を考えました。

僕は自己研鑽に励む年にするということを決めました。自分の弱さから蔑ろになっていたブログをまたコツコツ再開していこうと思います。

 

 

個人面談を通して。

先週は個人面談がでした。

希望者のみなのですが保護者とお話出来る機会なので時間が許す限りたくさんのお話を聞けたらなと思っていました。

 

誰かの家で遊ぶことが増えた。

 

こんなお話を聞く機会が増えたなと思います。

中には今まで遊んだことのないのに今年からだ。なんてお話をいただくことも。

 

何かを共に乗り越えた時に繋がりが深まっているのかななんて微かに思い描いたりしています。

 

同時にまだ仲間と友達が混同してる場面が多いなと思います。全員が全員友達は難しいし無理だと思うし全員が仲間であって欲しいなと思います。

 

捨てた。

1か月前のことです。

 

「お前が◯◯なんだからお前がこれやれよ!」

「先生!◯◯さんが牛乳当番なのに牛乳やりません。」

 

気づけば掃除の時間になっても給食の片付けが終わらないことがちらほら。

 

そこで役割を捨てることにしました。今日の当番は〜班だよというグループだけ決め、あとは子どもたちに委ねることに決めました。その役割を捨てる時も以下のようにお話しました。

 

最近前述したような話がちらほら僕の耳に入ってくるんだけどそんな言葉聞くと僕はなんだかモヤモヤした気持ちになります。これじゃあ押し付けみたいに聞こえるから。押し付け合うクラスに僕いたいって思わないから。みんなにも今一度自分たち、自分の行動発言を振り返って欲しいなと思います。

 

すると子どもたちで話し合って自分たちが何をするか決め、協力し合う姿が沢山見れました。

 

いいなと特に思ったのは普段は参加できない子も役割がないので参加出来る日は自然と参加することができるようになったのです。

 

足し算引き算、これからもどうしたらいいか思考を止めずにいきたいなと思います。

 

 

 

 

 

気づけば。

気づけば歳をまたひとつ重ねていました。

 

大切な人、友達、職場の先生方とたくさんの方に嬉しいことに祝って頂きました。ありがとうございます。

 

まだ僕が21の頃、中学生時代に仲の良かった友達に誕生日メッセージを送った時です。

 

「20過ぎたら誕生日おめでとうなんて言うな!歳を感じるだろ。」

 

なるほどたしかに歳を取ればとるほど自分の歳を気にするようになりました。でも戸田は誕生日おめでとうは歳をとったから送るものではなくて、いつ死んだっておかしくない僕たちが一年を生き抜くことが出来た今におめでとうだと思うのです。

 

また来年も再来年もこの先もずっと歳をとって気づけばたくさんの方に囲まれているようなそんな自分でいられるように誠実に生きていきます。

 

ついでに誕生日ってちょっと離れちゃった人でもまた繋がることの出来るちょっと特別な日だと思うのです。

 

 

言うは易し、行うは難し。

個人のマグネットを毎回貼り出して授業をしています。休んだ子の分も貼っています。

 

春。

「どうして貼るの?」「休んだ人がいたら全員達成できないじゃん。」

 

夏。

貼ることに対しての違和感はなくなったのか休んだ子の分はそのまま貼ってありました。

 

そして秋。

インフルエンザも流行りだし、休む人が増えて来ました。すると1人の子が「どうしたらこのマグネットは動かすことが出来るのかな?」

僕が持っている、思いつく手段は日頃から言っているものも含めて全部上げました。頷くその子。その日休んだ子のマグネットはそのままでした。

 

そして今日。学校に登校していた子は全員課題を達成しました。嬉しいことです。

 

そして4人休んだから4個のマグネットのはずが3個しか。

 

マグネットをどうしたら動かすことができるのか聞きに来た子が言いました。

「明日、来たら私が絶対今日の授業を伝えるんだ。動かしていい?」

 

嬉しくてたまりませんでした。確かに僕はあげた手段のひとつに自分が見捨てないとさらに固く誓って動かすのもありだよね。と言いました。

 

言ったり思ったりするのはそこまで難しくありません。でもそれを行動に移すのはとっても難しいし勇気のいることだと思います。

 

もちろん休んだ子のためにノートを作ったり、できることを一生懸命模索していたりする子はこれまでもたくさんいました。今日だって。

 

でもはっきりと可視化されたからでしょうかこんなに嬉しいのは。きっとその勇気に僕が心を打たれたんだと思います。

 

やっとコロナが落ち着き、でもインフルがまた流行り、と落ち着かないこの時代。

教室にいなくたってその場にいなくたって全員達成ができる、見捨てないそんな未来を描かずにはいられない今日でした。