戸田の内緒話。

自分の日常で思ったこと、感じたことをつらつらとひっそり書きます。

TPチャート。

お久しぶりです。

 

教採やらの忙しさを自分の勝手な言い訳に休んでいました。

ブログを再開しよう再開しようと思いながらなんか上手く切り出せず気付けばかなりが経ちました。

一度辞めてしまうとやり直すにはすごい労力がいることを実感しました。

 

そんなブログを再開しようとしたきっかけがふたつあります。

一つ目は今読んでる偶キャリという本からです。

まだ読み途中ではありますが読んでみての感想は偶然を掴み取るにはその偶然を咲かせるための種まきをしておかなければならないということです。

偶然は本当にただの偶然もありますが、自分を発信するという種を蒔いておくことで偶然を咲かせることができると書いてありました。何が起こるかわからない人生の中で少しでも自分に得のある偶然を起こしやすくするためにブログを再開しようと決意しました。

 

二つ目に今日参加した直江津『学び合い』の会です。2回目の参加です。

今日はTPチャートというものを使い、自分の理念や活動をより具現化し、時には俯瞰して自分を見つめる時間でした。

これが僕が作ったTPチャートです。

してみて気づいたことはたくさんありますがその一つに自分は人との繋がりを大切にしたい、より多くの人と関わりたいと感じていることに気づきました。

 

より多くの方と繋がり、自分を見つめ直していきたい、そう感じたのが再開二つ目の理由です。

 

今日はたくさんの方と出会い、お話することができました。

本当にありがとうございました。

この繋がりを大切にできる、そんな人間でありたいと思います。

 

 

 

『』を外す?って。

『学び合い』の『』を外す、『』に拘束されないということが話題になることが多いです。

 

確かにゼミ内は『学び合い』で運営されていますが、一度たりとも1人も見捨てるなとか言われたことがないし、一度たりとも授業開始の語りと授業終わりの語りを聞いたことはありません。要するに本に書いてあるようなことは一度もしていません。先生が書いた本なのに。

 

また昨日は上越『学び合い』の会でした。ある『学び合い』の実践者の方がいました。しかしながら本に書いてあるようなことはしてないと言います。むしろ『学び合い』ではあれ?と思われることもするとおっしゃってました。例えば途中で授業を止めたり、教員の強制力は時には武器になったりするとか。でも僕自身学んできたものと違うから「あれ?」って思うはずなのになぜかすんなり落ちてきたり。

 

こんなことを踏まえて『』を外すってどういうこと。??と考えてみました。

今現時点での僕の結論です。

 

『』に拘束されないということは

”自分自身が子ども達への願いを持つこと”

だとたどり着きました。

 

『学び合い』は1人も見捨てないとか一生涯の幸せとか教員誰もが一度は素敵なだなと思い描くワードがてんこ盛りです。それが自身の願いになることはもちろんあるし、実際本気でそう思ってる方もいるでしょう。でも多くの方って自分の経験とか出会いからもっと素敵な願いを持っていることが多いのではないかなと考えます。本に載ってる願いよりも自分の出会ってきた数多くのもの、人から構築される願いの方が素敵なはずです。

上越『学び合い』の会で出会った方のお話もその先生の願いを聞いた時、僕はすんなりそのお話が落ちてきた気がします。

 

その願いを叶えるために子ども達に与えるものはたとえ『学び合い』にあるものではなくても良いと思います。

 

でもその願いを子ども達に伝え、そのためにできることを一貫して行っていく。

そして子ども達が動き始める。

『学び合い』だけど『学び合い』じゃない、『』を外す、拘束されないってそういうことなのかなと。

 

GIGA本。

GIGA本。】
昨年度からゼミ生の仲間や現場の先生方と協働、時にはぶつかり合いながらも執筆してきた本が7月6日に発売となります。

GIGAスクールを成功させる教師の言葉がけ」
https://amzn.asia/d/eQBE0dR

GIGAスクール構想が始まり、困難や課題を抱えている先生方もいると思います。この本はそんな困難や課題を実際に集め、それに対してどのようにアプローチしていくのが良いかを僕たちが考え、出来上がりました。

この本を通して伝えていることは「子ども”達”に任せてみると言うこと」だと思います。

実際に任せてみるってどういうことそんなことできるの?と思う方にも届くよう、実際の現場の先生方が子ども達にどのように任せているのか、どのようなことをされているのかを「実践例・体験談」という形で9つ載っています。

現場にいらっしゃる先生方やこれから先生になる方、保護者の方など多くの方に読んでいただきたいです。どうか一度手に取ってみてください。

また執筆にあたり、多くの先生方にアンケートやインタビュー等のご協力いただきました。改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

お酒。

なんか今日は気分が乗らずダラダラ携帯で教採の問題を解く、そしてぼーっと空を仰ぐなんてことしか出来ない一日でした。

 

なんか気分を変えたいなあと思い、ほろよい1缶で酔える僕が何を思ったかビールを飲んでみました。

 

るろうに剣心」という漫画に以下のシーンがあります。

 

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このシーンには続きがあり、それでもお酒が不味いならなにかに病んでいる証拠だと剣心の師匠が言っています。

 

冷蔵庫にあったビールは友達が置いていったエチゴビール地ビールってなんか特別感ありますよね。笑

 

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今日は星空は見えませんでしたが夏風?春風?を浴びながら飲むお酒はなんか美味しかった気がします。

まだまだ病んでない、沈んでないってことですね。明日からまた帯をぎゅっと締め直して励んでいきます。

 

 

 

「鋼の錬金術師」。

僕の隣の隣の席の友人、親友が最近ずっと「鋼の錬金術師」を勉強の合間に見ています。

 

影響を受けてか、すぐ手を合わせたり、顔を掴んで分解とかいってきたりします。

 

 

〜ストーリー。〜

錬金術の栄えた世界で、禁忌とされる人を錬成してしまった兄弟2人。

代償として兄は片腕と片足、弟は身体全部を失ってしまいます。

たくさんの人、たくさんの錬金術を通して、弟の身体を取り戻そうとするお話です。

 

27巻でダレることなく、綺麗にすっぱり終わっているとても良い作品だと思います。

僕も大好きな作品の一つです。

 

その中で僕が影響を受けた言葉があります。

「等価交換」です。

 

錬金術は1から2のものを作り出すことはできません。

鉄から金を作ることはできません。金を作るには金からしか錬成できません。

 

これって何にでも当てはまっているのではないかなと思います。

何か成果を得たいと考えたら、それなりの代償が必要です。

大学院の生活で多いのは時間を使うことかなって思います。

 

人との繋がりもそうです。相手にとって嫌なことばっかしてきたのにその人と良好な関係を築きたいなんてあり得ないことです。不釣り合いです。

 

この作品では最終的に「等価交換」という真理を壊していこうと言う形で終わります。

1から1を作り出して終わりなのではなく、1+αを渡していこうということです。

 

僕も人間関係において、誰かと繋がる時に1を渡して1をもらって終わりなのではなく、相手に1+αを渡していける人間でいたいなと思います。

 

 

未体験。

観察実習、1年間の学校支援プロジェクトや教育実習での授業実践等を通して子ども達のことを見たり授業をしたりすることに関しては現場の方に比べたら遥かに劣り、別物かもしれませんが積めるだけ積んできました。(まだまだですが。)

 

最近、保護者の方とどのように繋がっていくかといったお話を仲間としました。

子ども達が1人として同じ子がいないように保護者の方も1人として同じ方はいません。

理論だけではどうしようもありません。実際、現実が全てです。

西川先生の言葉を借りるのであれば授業同様、保護者の方との関わり方も生物だと思います。

 

でも僕は保護者の方と関わり方について実際触れることはありません。

どうしたら良いか、西川先生へのゼミでの質問も通して3つのできることをしていきたいと考えました。

 

①保護者の方々との関わり方についての書籍等を読む。

②実際の現場の先生方、実際の保護者の方々から話を聞く。

③読んだ本や聞いたお話について自分の仲間と討論する。

 

この3つです。

②については実際、現場経験のある方や実際の保護者の方とかいったことばかり考えていましたが自分の両親も立派な保護者だよと言われ、目から鱗でした。

 

前述通り、僕は保護者との関わりを学生生活上、ふれ、学ぶことはできません。

これから先、何かお話しする機会があった際には読んでくださる皆様のお話を聞かせていただけると幸いです。

 

よろしくお願いします。

 

教師が教えることの弱点。

家庭教師をしてもうちょっとで4ヶ月くらい経ちます。

 

6人?ほど生徒を持っていて、分からないと言われると調べてみて?といって自分で解けるように促します。それでも説明が欲しいとなると説明をする時もあります。

 

そんな家庭教師を続けていて、あれ?これって危ういのでは?と思った瞬間があります。

 

それは教師の顔色、つまり僕の顔色を窺って答えを探す瞬間です。

 

それではただの心理戦です。勉強ではありません。

でもこれって僕が関わりすぎたり、介入しすぎたことが原因だと思います。

僕が教え、その通りに解けるようになったことで、僕の言うことが答えだよ。と思わせていたのです。

わかりやすく教えることが子ども達の心に火をつけるわけではありません。

自分の在り方を再度考え直したいと思いました。