戸田の内緒話。

自分の日常で思ったこと、感じたことをつらつらとひっそり書きます。

自分が後輩を守り、情報を発信し続けていく意味。

今日はオープンゼミを行いました。

 

そこでは「富の未来」を読んで考えたことを質問しました。

先進的な経済には先進的な社会が必要であるとトフラーは述べています。今現在の教育現場を考えると先進的なことを考えているが、それに伴った法や制度が充実していないのではないのかなと感じました。そんな中、自分には何ができるのかといった質問をしました。

 

西川先生は言いました。全ての人が先進的なことを考えることはできない。しかしわかってくれる人はいる。そして全体の16%の人がわかってくれた時にパンデミックは起きると。わかってくれる人にアプローチを続け、16%を超えたら良いといっていました。

 

もう既に僕の解釈は間違っているかもしれません。しかしながら僕はこのように理解し、そしてふと今日計算してみました。

※ここからの計算理論はとんでもなくあり得ない状況を仮定したものであること、自分の解釈で話を続けていることを理解してください。すみません。

 

令和2年度の段階で大体教員は約2000000人いるというデータが出ています。

 

この中の16%ということは320000人です。この人数が何か行動を動かした時に、残りの1680000人の人にも広がっていくということです。私一人が何かをし続け、一日一人に影響を与えることができたとすると僕の願い通りのパンデミックを起こすためには876年の月日がかかるそうです。人生を10周しても無理です。夢物語です。

 

西川研究室には今現在10人います。ということは10人が一日一人に影響を与え続けたとするとパンデミックを起こすのに87年かかることになります。まだまだ僕が生きているうちには難しいですね。笑

 

西川研究室にもし10人新しい新入生が入り、一日一人に影響を与えて行ったらパンデミックを起こすには43年かかることになります。一気に現実味を増してきました。

 

さらに来年西川研究室に10人入ったら、20年間でパンデミックを起こすことができます。もはやこれは夢物語ではなくなってきているのではないかなと感じます。

 

この計算がいろいろな事情を無視していることは重々承知です。プラスの面もマイナスの面も。ここではプラスの面だけをみて考えます。この計算は新しく入った新入生だけで計算をしていますが、実際は20人で計算、30人で計算することが可能です。また影響を与えた人が他の人に影響を与えることは無視しています。影響を受けてくれた方が他の人に影響を与えることだって十分にあり得ます。マイナスの分を差し引いてもこのままで行けば20年かからずともパンデミックを起こすことができるのはないでしょうか。

 

何回も言いますがこれが自分の思い通りに計算しているのは承知の上です。しかしながら一日一人に影響を与えることができる可能性を少しでも上げるために、情報を発信し続けていくことは大きな意味があるということを僕は確信を持ちました。

 

今日のオープンゼミでは19人の参加がありました。嬉しい限りです。僕がその後輩を守ることは、後輩のためになり、結果として自分の願いを実現するための一歩になり得るはずです。計算上10人でしましたが5人であった場合パンデミックは遠くなります。

 

そしてもう一つ僕が確信したことがあります。それは僕が日本の教育を変えることはできないけど、僕たちなら日本の教育を変える可能性があるということです。無理ではありません。

 

一歩ずつ歩みを止めずに、後輩たちを守りながら、精進していきたいと感じました。

 

ゼミ室。

ゼミ室で勉強する時間が日に日に増えているこの頃です。

 

ゼミ室で勉強していると、ふと面接のように質問してくる仲間がいます。

面接練習かのように質問に答えるとその質問、答えに対してフィードバック、自分の考えを交流する時間があります。

 

教員になりたいという同じ夢を持ち、それぞれ素敵な願いを持っている仲間がいて、その仲間と共に学び、磨き合えることができることを本当に本当に幸せに思います。

 

 

新入生。

今日は僕が所属している大学院の入学式でした。

校内を歩いているとスーツを着た人たちが歩いていてなんだか懐かしくなります。

 

早速新しく入ったM1のひとたちとご飯に行ってきました。

初対面なので趣味や出身地などのお話で楽しい食事の時間となりました。

常にボケ続ける、そんな時間でもあった様な気がします。要するにふざけた僕たちしか見せれてないのかなと思います。どこでもかしこでもふざけている自分たち、ではないということをこれから共にする学校生活の中で示していけたらなと、一層身が引き締まりました。

 

誠実な心を忘れずに、結果を出していきたいです。

 

 

家庭教師。ぱーと2。

家庭教師のバイトを始めて一ヶ月と経ちます。

 

家庭教師にくる子は成績を伸ばしたいと思ってきている子がほとんどです。

対話をしながら時間をかけて分からない所を探し、一つずつ、一歩ずつ指導していきます。

 

新しく塾に入った子の英語をみました。

休憩の時間があったので、ふと将来何したいの?と聞いてみました。

その子は自分の夢を目を輝かせながら教えてくれました。

小学校からずっとその夢を追い求めているとのことです。

 

まだ僕がその子の担当に決まったわけではありません。もう一人英語がとっても得意な先生がいるとのことなのでその方が担当になることもあるでしょう。成績を伸ばしたいと思ってきている子がほとんどなのでその子にとって少しでも分かりやすい先生がつくのが最善です。

 

ただ、単に成績を上げたいということだけではなく、夢のために成績を上げたいと思ってきているのだとしたら、少しでも手助けをしたいと切に思います。教師としてではなく、家庭教師として。その中で少しでも夢について考えるお話もできたらなとぼんやり思ったり。

 

 

ライブ。

僕の趣味はライブです。

コロナ禍ということもあり、全く行けていなかったのですが僕の大好きなバンドがライブすることが決まり、久しぶりに参戦してきました。

 

何かを失うということはそれと同等の、もしくはそれ以上の何かを手に入れることができていると思うというMCがありました。

 

確かにその通りだなと思いました。お金だって悩みだってそうだと思います。

そして人間関係も一緒だと僕は思います。

 

Aとの関わりが減り、Bとの関わりが増えるといったようなことはよくあることだと思います。

Aとの関わりが減るのは悪いことではありません。それは自分が定めた距離感です。

ただ、Aと関わる必要があったとき、Aとの関わり方がより素敵なものにするためには自分の気持ちの持ち方一つで大きく変わってくるのだと思います。

誰かのために自分の何かを使うとき、使った何かの同等のものプラスαの何かをその誰かに渡せたらいいなと僕は思います。それが結果、自分のためになると信じています。

 

そのプラスαの何かや、プラスαできなくても、その想いといったものが誠実ということなのかなと感じました。

 

絵を描くこと。

一昨日?美術館に行きました。

そこではその地域の美大の卒業制作作品の展示が行われていました。

 

幼き頃の戸田少年は美術館に行っても何も感じず、ほへーっと見てるだけでしたが、

大人になった戸田青年、絵を見る毎にたくさんのことを考えてしまいました。

少しずつ大人になっていますね。笑

 

僕が一際、心を奪われた作品がありました。

「安全圏より」という作品です。

なぜかは分かりません。ただ感覚的に直感的に好きだなと感じたのです。

そしてたくさんのことを考えました。

なぜ猫を抱いているのだろう、なぜ暗闇の中にいるのか、でも光もあるな?とか、描いた人は何を想って、何を伝えたくてこの絵を描いたのだろうとか考え出したらキリがなく、でもその時間はとても素敵で幸せな時間でした。

◎「安全圏より」を描いた方のインスタです。

よろしければ覗いて見てください。

https://instagram.com/s_h_i03zky?utm_medium=copy_link

 

 

そして全ての作品を見終わり、友人とお話をしました。その友人は美大出身です。

友人によると自分の世界全開の絵は見る人への伝える行為が欠けていると評されることが多々あるとのこと。しかしながら全て伝えるような絵ではただの模写になってしまうため、その狭間で絵を描く方々は戦い続けているのだとか。

 

いろいろ考えてみたところ、対象とミッションが達成されているのかどうかに尽きるのではないのかなと感じました。

絵を描く方々が「全ての人」を対象にして「わかるような絵を描く」というミッションだとしたら、自分世界全開ではダメなのかもしれません。もし、「通りすがりの人たち」を対象に「足を止めたくなるような絵を描く」というミッションであったら。自分世界全開にし、伝える行為に欠けると例え評されたとしても、通りすがりの人たちが足を止めたら描いた人にとって評価などどうでも良くなり、絵を描いてよかったと心から思えるのではないでしょうか。

 

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このブログを書くにあたり、「安全圏より」を描いた方と少しやりとりをしました。

「実際に目で見てくださることも嬉しいですし、私の作品の断片が誰かの記憶に残っていることが幸せです。」とおっしゃってました。

どのような想いでこの作品を描いたか全てを知る術を僕は持ち合わせていません。

でも、もしも「実際に見てくださった方」を対象に「少しでも記憶に残るような絵を描く」がこの絵を描いた方のミッションだとしたら。より多くの方の記憶に残る作品であったのではないかなと僕は思いました。

素敵な時間をありがとうございました。

家庭教師。

コロナ禍になり、今までいたバイト先ではうまく稼ぐことができないため、友人の紹介で家庭教師のバイトを始めました。

 

家庭教師ということもあり、マンツーマンの講義です。

たくさんのことを感じました。

 

まず教えるということはとても時間がかかるということです。

とてもではないですがこの質量のことを30人にすることはできなくねと感じました。

同時にそのことについて深く理解すると教えるのが困難になることも実感しました。

今日の教材の中にtalkという単語が出てきました。教えた子はtalkとspeakの違いがわからなかったのです。私は無意識のうちにそれを理解し、使っていました。分からないと言われなければ私は分かっている体でスッと次の文章を教えていたかもしれません。

 

教えるということの難しさを改めて肌で感じることとなりました。