昨日の様子。
昨日ひょんなことからM1ゼミを少し眺めていました。
始まる前から始まってちょっとの時間を見ていました。
すると現職さんに質問をしているM1の姿が。西川研に入りたての僕にはできなかったことです。何か敷居が高いとか僕なんかがとか勝手に感じていたのでしょう。他にもM1同士でわちゃわちゃ話していました。
入りたての僕はできませんでしたが今はわからないことがあるとすぐ仲間に聞きにいってしまいます。
誰もが対等にいれる。当たり前で誰もが目指したいと感じているものかもしれませんが、それはどういう環境にいるのかによって変わってくるのだなと感じました。
観察実習。
ちょっと前になりますが、観察実習が終わりました。
先輩から教わったことをもとに教室の前から子ども達をずっと見ていました。
教科によって目の輝きが違う子だったり、できる子だと思われている子も課題が早く終わって空を仰いでいたり、休み時間は絡んでいない子同士が授業では実は一緒にいたりとか、前から見ると子ども達主体で担当の先生のことも見ることができます。
また最近、友人から見取り入門を借りて読んでいます。
そこに書いてあることを実践していて今まででは感じたことのなかった感想が観察中にポンポン出てきました。
しかしそこから自分は何を学んだらいいのか、迷子になりました。
そこで西川先生に質問すると二つのことがわかりました。
一つ目は一朝一夕なんかで見取ることなんかできず、もっともっとたくさん経験を積んだ方が良いこと。子ども達は十人十色で本当に一人一人違います。もっともっとたくさん経験を積むことであれ?あの行動よくわからんぞ?っていった行動が出てくるとのことです。
そして二つ目にあれ?あの子ども達の行動わからんぞ?って行動を誰かと話すことです。それは西川先生でも、他の人でも誰かと話していくことで自分の考えを深めていきます。僕の考えは弱くても僕たちの考えは強いものになると僕は思います。
子ども達の姿から学ぶ、よく聞く話ですがその意味がスッと落ちた気がしました。
図画工作の課題。
図画工作の課題でサイコロのデッサンをしなさいという課題が出ました。
絵を描くのが苦手な僕はとても億劫でした。
しかし僕の席の隣の隣は美大出身の子が。
その子に助けて助けてを繰り返すこと100回、、、。
僕が描いたとは思えないくらい自分にとっては頑張れた絵が描けました。
偶然僕は近くにいたのが美大出身の子でその子のお陰で絵を描くのが楽しくなりました。
偶然その子がいたことが絵を描くことのモチベーションになったのです。
その子がいなければ絵を描くのは億劫なままだったと思います。
何かをする、したいって思うきっかけっていつだって誰かがいる気がします。
自分が教員になりたいと感じたのだって自分の恩師です。
そのきっかけが自分の芯、夢になりうることだってあります。
自分は繋がりを大切にしていきたいと改めて思いました。
上越の会。
観察実習が終わったのも束の間、すぐに上越の会がありました。
家系ラーメンを食べ、魂(?)を込めて参戦しました。
昨日の学びの中で、先生に必要なものは三つあるとおっしゃっていました。
一つ目に「教育のビジョン」、二つ目に「人間性」、そして最後に「技術」でした。
どのような教育をしていきたいか、子ども達にどうなっていて欲しいかという想いが「教育のビジョン」に当たると考えました。
そしてどんなに想いを持っていたって、それを語る人間が見てられないものであったら聞いてくれません。誠実さというものが「人間性」になるのかなと感じました。
最後の技術に関してはあまり馴染みのない言葉でしたが、お話を聞いた時すんなり落ちてきました。どんなに素敵な人間で、素敵な想いを持っていたとしても、それを実現できるだけの何かをしていなければそれは見破られてしまう、自分の想いを実現するための手段が「技術」であるということでした。
この三つってどれか1つができているからOKというわけではありません。
どれか一つ欠けていたらいけないものです。
熱い想いと冷静な頭が必要であるといいます。
「教育のビジョン」という熱い想いと「技術」という冷静な頭、この二つが歯車として噛み合ったときに、誠実でいられる「人間性」が生まれるのだなと。
残業。
観察実習が始まり、三日が経ちました。
行きの車の話です。
学部生の子が「何時くらいに帰れるんだろう、実習簿もあるし。」と私含む院生2人に聞いてきました。
私は少し悩み、「残業したくないので、実習簿を書いて即帰ります。笑」なんて言っているともう1人の院生の子に「それ教師に向いてなくない?今は残業当たり前じゃん。」と言われました。
確かに現状そうなのかもしれません。
でも僕たちが変わろうと動き出せば変わるかもしれないのに動き出さないのは勿体無いです。
その動きが見てくれる人には届くはずだと信じます。
過ち。
何か自分がミスをしてしまったなあと落ち込むことは誰もがあると思います。
最近僕もそうでした。なんか脳内にそのことがよぎり、次に話すのがちょっと億劫だなとか思っていました。
自分のせいだなと思っていた僕に友人は言ってくれました。
「お前は何も悪くない、俺らの責任だから。」と。
俺らの中には僕も含まれています。
連帯責任とは違う、でも僕たちでミスを受け止める、
こんなに心強いことってないなと思いました。
教科書。
一週間の観察実習が近づいてきています。
観察実習、本実習のために教科書を買わなくてはいけません。
十五冊くらい買ってまあまあな値段しました。
重いし厚くて場所は取るし、なんかいいことないなと思いました。
別に教科書なんてなくたっていいのに。と思ったこともありました。
でも教科書って例えば国語だったらその国語のスペシャリストが何人も集まって話し合いを繰り返して、この力は必要だと感じたものが詰まっているものなのです。
僕はどの教科においてもスペシャリストとは到底呼べません。そんな僕一人の考えとスペシャリストが何人も集まり、話し合いで生まれた考えだったらどちらの方が素敵なものか、僕は後者だと思います。
教科書を学ぶこと=子供達の幸せとは言えないと思いますが、少なくとも子ども達に教科書というツールを与えるのは大切なことなのだなと思いました。(使うかどうかは子ども達の自由です。)