戸田の内緒話。

自分の日常で思ったこと、感じたことをつらつらとひっそり書きます。

私たちはどうつながっているのか。

自分の願いを語る上で人との繋がりというものは僕には欠かせないものであるなと強く感じ、以前読んだ増田直紀さんの著書「私たちはどうつながっているのか」を再度読み直しました。

 

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考えたことをつらつらと。

 

6次の隔たりを使ったスモールワールドの世界。

人は世界の誰だろうと大体6人の人を介せばその人と繋がることのできるらしいです。ここで大事なのはまず誰かと繋がるのにはそんなに多くの枝を解さなくてもいいことです。誰かがいなくなってしまった時、いなくなった人はなんか自分より遠い人のような気がしても、気づけば僕の身近な人が悲しんでいる姿が目に入るのは当たり前のことなのかもしれないと強く思いました。そしてもう一つは6人を通さずとも、自分のつながりが多様であれば近道を使って、6人よりも短い道で誰かと繋がることができるということです。そして多種多様なコミュニティ同士を繋げようとした時、どちらのコミュニティに属していればそれだけでその人の価値はとてつもなく上がるということです。なぜ、たくさんの人と繋がることが大切であるかの根拠ができた感じがします。

 

②身内を大切にすることの意味。

では多くの人と繋がることだけが得かと言われたらそうではありません。つながりを作り、そして維持するためには非常に高いコストがかかります。自分自身が持っていないつながりは自分の持っているつながりから手繰り寄せていけば良いのです。人は基本的に3~4人のコミュニティを作ると言われています。この小さなコミュニティをクラスターと呼ぶそうです。このクラスターは人々に安心感を与え、またこのクラスターによって人は利己的ではなく、協力的な姿勢になると言います。利己的に振る舞うことでクラスターにはいにくくなり、それは「損」であると分かるからではないかなと思います。このクラスターの中で「こいつには〇〇を紹介したいな。」と思ってもらえるようにするためには、結局はその人がその集団の中でどう貢献しているか、どう自分と接してくれているかだと思います。少なくとも誰かを見捨てたり、悪口を言うような人に誰かを紹介したいとは思わないと思います。紹介した子も見捨てられたり、悪口を言われるかもしれないからです。

 

もっと色々考えたかもですが大きく感じたのはこの二つです。

 

最後にこの本では誰もが替えのきかない歯車であると言って締めています。

その通りだと思います。誰1人として全く同じコミュニティを築いていることはありえません。

誰もが必要な時にたった一つの歯車として動き出しますように。そんな社会を目指していきたいと思いました。